ヒッチハイク日本一周一人旅 - 旅路Good(たびログ) ADMIN
ヒッチハイクをメインとした旅の様子を、時にはリアルタイムで時には想い返して綴ったブログ。
『旅路Good』とは“旅”の“ブログ”=“たびログ”という音に、“良い旅路(たびじ)になるように”という意味をゴリ押しで当て字したもの。

(記事を探している人はもう少し下の方へ...)

ヒッチハイクで旅する自分だからできることが、きっとあるはず。
というわけで、チベットとウイグル(東トルキスタン)の人たちから託された国旗と共に、日本全国47都道府県をヒッチハイクで巡ったのが2008年。

なんでチベット&ウイグル?という人は - 【旅の概要と動機】

大阪をスタートし、明石大橋を越えて... >> 四国一周(+小豆島) >> 山陽 >> 九州一周(+屋久島)&沖縄(本島+離島) >> 山陰 >> 近畿 >> 中部 >> 関東 >> 東北と周り...ついに北海道は函館にゴールしました!

計384組の親切で物好きな人たちと一緒に歩んだ、138日間10,000kmにわたるヒッチハイクと野宿の旅の報告はこちらを - 【旅のまとめ】

日本一周の旅の序章でもある北海道一周記は - 【'07 北海道編】(未完結)
本編の日本一周記はこちらから - 【'08 日本一周編】
(毎日眠い目を擦って書いていた日記を元に現在加筆中、写真も追加中)

ヒッチハイク中には時間が無くて書ききれなかった...けれど今も心に残る、様々な出会いや事件について月一更新を目標に現在不定期連載中です - 【旅のエピソード】

※ヒッチハイクで乗せてもらった人たちなどに「無事に達成できたら連絡してね」とたくさんの名詞等もらったんですが、残念なことに途中で遭った盗難により一部を失ってしまいました。
こちらから連絡できなくなっている人にはこの場を使ってお詫びします。本当にすみません。


【現在、旅やヒッチハイクに関する質問を受付中。また各種依頼などもこちらから



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2008.07.16
鹿児島、月光夜
金武町に着いたのはキャンプハンセンのフェスティバルが行われるちょうど前日。
普段入れない米軍基地の内部が見られると聞き、少し滞在時間を延ばして覗きに行くことにした。

午後3時の開場を待つ間、午前中は特にやることもなく辺りでぶらぶら。
泊まっていた公民館で野良の小猫と戯れていたら不意に名前を呼ぶ声がした。
振り返るとそこにいたのは那覇周辺で色々とお世話になったTさん・・・・・ではなく、Tさんに連れられていったボランティア事務所で会った教育委員会(?)の先生だった。こんなところで再会するとは。
なんでも昼からここで行われる教育者向けの集会で講演をするという。
時間があったら聴きにおいでと誘われて顔を出したが、学校の先生たちで埋められたホールに1人紛れ込んだバックパッカー。服装も1人だけビーサンにタンクトップと明らかに浮いている。
周囲の人の誰だろうあの人みたいな視線をひしひしと感じ、若干の気恥ずかしさもありはしたが、堂々としていればまぁ何てことはない。

次に名前を呼ばれたのは講演の真っ最中。いきなり会場に紹介されて前に出るよう促される。
講演の内容と自分の旅にはなんの関連性も無いんだけれど、紹介されれば出ないわけにはいかない。前に行って簡単に旅の様子を交えた自己紹介をすると結構いいリアクション。
前に出てしたことといえば後は詩を1つ朗読しただけだったが、意外にも大きな拍手を受けてなんだかちょっと嬉しかった。

講演終了後、出演料というわけじゃないが控え室で用意されていたおにぎり約10個程とお茶を全部自分がいただくことになったのでありがたくお持ち帰り。これで数日間は食糧問題に悩まされることはなくなった。

ほど良い時間になったのでテクテク歩いてキャンプハンセンへ。
いつもは通れないゲートを抜けて、奥のフェスティバル会場へと進んでいく。
軍服、私服の外人さんと日本人の割合は半々ぐらい。日本人外人を問わず子供連れも目立つ。
中には教会、銀行、スーパー、ピザ屋に映画館にレンタルビデオショップなど一通りの施設がそろっているが、バスケットコートがあるのが一番アメリカらしく感じた。


しばらく歩くと会場に到着。
普段は何に使っているスペースなんだろうか?
結構広い空き地のような場所に20~30店の出店が並んでいた。



奥にはステージが用意されていたり、子供が遊べるエリアなどもあってなかなか賑やかな雰囲気だった。
帰り際、駐車場で1人の女の子を見つけサクッとヒッチ。
昼の講演会場にいた町会議員のおじさんにウチにお茶でも飲みに来ないかと誘われていたので、聞いていた住所の方まで乗せてもらった。

帰りに寄り道してキャンプゲート前の飲み屋街へ。
沖縄で一番有名だというキングタコスのタコライスを1つ購入してみた。

[旅先で食べたモノ] キンタコのタコライス


拠点の公民館に帰ってきたが昨日は居たはずの野良の子猫が出てこない。
若干気になりつつも明日は早出の予定なので眠りにつく。

翌早朝、やはり見当たらない子猫のために水と食料をいくらか置いて行くことにした。
余り人目に付かない場所にこっそりと置く。
上手くあいつが気付いてくれればいいんだけれど。


そして旅立ち。
この日は“やんばる”=(山原)と呼ばれる沖縄本島北部を走り、北端の辺戸岬を一気に越える長距離移動予定の日。やんばるは未だ手付かずの自然が多く、人と車の数が激減するぞと注意されていたが、実際まさにその通り。ただツーリングのバイク集団だけがエンジン音を辺りに響かせていた。

ヒッチハイクもさすがに手こずり、沖縄本島一のマングローブ林が茂る慶佐次で一時足止めを食らう。

ちなみにここ慶佐次のものはヒルギという植物。
マングローブ。これまでずっとそういう名の特定の植物だと思っていたら・・・。
熱帯等の汽水域(淡水と海水の混じった塩分濃度の薄い場所)に生息する植物の総称だったとは。


目の前を通り過ぎていった四駆がUターンして戻ってきた。
旅の話をするととても応援してくれて、本来の自分達の目的地を越えてわざわざ辺戸岬まで送ってくれた。

よく晴れた日にはこの先に与論島が見える。
沖縄本島最北端、辺戸岬から望むターコイズブルーの海。

北端というので少し寂しい風景を想像していたが、海の色を見てここが沖縄だったことを思い出す。
大きな駐車場に売店もあって、移動式の販売車一台だけだった南端の喜屋武岬とは大違いだ。

米軍占領下では本土復帰を願っての篝火集会が行われた場所でもある。



ここからはクリスチャンの老夫婦と少女の車に相乗りさせてもらって一気に南下。
名護辺りから長い橋を渡って美ら島として名高い古宇利島にやってきた。
沖縄本島に来たんなら「ここだけは行っとけ!」とよく言われる場所の1つであり、沖縄版アダムとイヴ神話の島だ。

2005年までは車が4台しか載らない小さなフェリーを使わなければ行けないのどかな島だったのだが、古宇利大橋が開通して以来観光客が押し寄せるようになったらしい。
手軽さと引き換えに離島としての魅力はだいぶ薄くなってしまったようだ。

奥に見える隣の屋我地島を経由して本島と結ばれている。
高台から古宇利大橋を望む。

それでもまだ現在のところ観光地化は古宇利大橋付近のみに限定されているようだが、今帰仁方面とを結ぶ予定の第二の橋が完成すればまたきっと変わるんだろう。


海岸の見える小高い場所に村の墓所があった。
岩壁をくり貫いて掘った横穴に石の扉が付けてあるのが独特だ。


夕暮れ時、古宇利大橋から飛び込もうとしている高校生ぐらいの少年を発見。
しきりに仲間が応援しているがなかなか決心がつかない様子。
飛び込む姿勢を見せるかと思えば、「やっぱりちょっと待って」の繰り返し。



30分はそれが続いただろうか。
やはりもう飛ばないのかなと思い始めた頃、少年たちより少し向こうの空間に突如人影が舞った。



1つ、そしてもう1つ。








予期せぬ出来事に驚く高校生たち。

飛び込んだのは小中学生ぐらいの子供が2人。おそらく島の少年か。
ハッキリしない高校生たちに手本を見せに来たような、一瞬たりとも迷いの無い見事なダイブだった。



目の前で子供にこれを見せられては飛ばないという選択肢はもう有り得ない。
すぐには決断できなかったものの、完全に真っ暗になる寸前になんとかダイブ。


遅れること数秒、最後になったが手前の彼もやっと飛び込むことができた。


この日はこのまま島での野宿。
先の老夫婦にいただいた食料を食べ、星を仰いで沖縄最後の夜を眠る。





今回の旅、沖縄で見る最後の朝日が昇ってゆく。
古宇利島から眺める朝日。

翌日、本島の向こう側から昇ってくる朝日を眺め、6時にはヒッチ体制を整える。
乗船予定のフェリー出港時間は午前9時。3時間弱で本部港までたどり着けるかどうかの勝負になる。

と言っても早朝の古宇利大橋は釣り人が数人来た以外ほとんど誰の往来も無く、最初の1時間はむなしくも過ぎていった。
残り2時間、しかも2時間後には到着していなければいけないという状況にかなり厳しいなと思い始めた頃、やっと一台の車が停まってくれた。
コンビニに行くところだと言うその島の女の子に助けられ、また本島のファミマではドンピシャのタイミングで「大した用事も無いんで送りますよ」と言う大学生たちに出会ってまさに滑り込み、奇跡的に間に合うことができた。

乗客は自分が最後の一人。
乗り込むとすぐに階段は陸地から離され、およそ半月前に着いたこの本部港から今度は九州に向かっての船旅となる。

瀬底大橋で本部半島と繋がる瀬底島。
左に見えるのは瀬底島。行けなかったがここも綺麗なビーチがあると有名らしい。



船はゆっくりと沖縄を離れ、与論島、沖永良部島、徳之島、奄美大島と寄港しながら丸一日かけて鹿児島へと近づいていく。



日本百名山の1つ、開聞岳。
見事な円錐形の姿から別名薩摩富士とも呼ばれる開聞岳。
沖縄からの便より見ると、角度によって初めは島のように見える。


大型フェリーが行き交う鹿児島港。

この旅3回目の鹿児島到着にして初めて鹿児島の街へと向かう。
昨年北海道を旅した時に出会った知人と再開し、一緒に天文館の辺りを歩いてみる。
どの地方もそうだが鹿児島もやはり景気が悪く、最近は人も少ないという。
新幹線がここまで開通すればそれなりに大きく変わるんだろうか。


雲に隠れていることが多かった桜島の頂上が見えた。これも3度目にして初。

西郷さん最期の地である城山にも登りたかったが時間が足りず断念。
指宿に向かって移動を開始することにした。




そして今日行ってきたのは鹿児島県知覧町の特攻平和会館。
何人もの人から「ここは絶対行った方がいい」と言われていた場所だ。


特攻の母と呼ばれる鳥浜トメさんの像と、何かの映画で使われたものだというゼロ戦の復元模型。

薩摩半島の内陸にあるその場所に着いたのが午後1時、それからじっくり見て約4時間、結局閉館の5時までいた。前回沖縄の平和祈念公園の資料館では2時間しか時間がなく、最後は警備係に追い立てられるように閉められたのだが、今回は納得のいくまで見ることができた。

館の敷地には、誰もが一度は見たことがあるであろう有名な特攻隊員の像や復元された兵舎などがある。
内部には亡くなった隊員たちの遺影や遺品などが展示されており、見る者の気持ちを引き締めさせてくれる。

感じ方は人それぞれだろうが、やはり胸に迫るものがある。
特にまだ若い、そのほとんどが20代前半、そして10代後半の隊員たちが明日の出撃を控えて遺した手紙などを読んでいると涙を堪えきれなかった。

特攻という作戦を美化することはできないが、彼らが純粋でひたむきだったことだけは間違いない。
そう思った。



今日は満月。
寝転がったベンチの上で、薄い雲を纏った幻想的な月を見上げながら、様々な考えが頭をよぎった。

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[旅の記録] '08日本一周編2 九州と沖縄 | CM(3) | TB(0) | PAGETOP
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★COMMENT

長旅御苦労さまです。

僕も高校の時、修学旅行で行きました。興味もなく訪れたのに、出るときは隠れて泣いていました。美化する気はぼくもありませんが、あそこはいろんな人の気持ちというより思念(怖い意味ではなく)みたいのが残ってて当時は理解できませんでした。

これからもお体を大切に進んでってください。
2008.07.17 | posted by ハム | URL | EDIT |
とうとう行ったんだね。ありがとう!

感じ方は人それぞれだけど、様々なことをあらためて考えるきっかけを与えてくれるのは間違いないよね。

うちのオヤジはいつも「特攻平和会館に今の日本人の若者を連れて行くべきだ」って言ってるよ。笑

俺も海外にただショッピングに行くくらいなら、修学旅行はそこに行くべきだと思う。

俺らはめぐまれてるよね。
だから思いっきり与えられた「生」で生きるべきだし、いかに個人に与えられた命が尊いか伝え続けていくべきだと思う。
2008.07.17 | posted by マサ | URL | EDIT |
>ハムさん
応援ありがとうございます!
修学旅行で行きましたか。
理解しきれなくてもやはり何か感じますよね。
中学高校ぐらいの頃に、そういった時代があり懸命に生きた人たちがいたことを体感することはやはり重要だと思います。

>マサさん
行ってきました。
確かに“修学”旅行でのショッピング旅行は意味が無いですね。
そして改めて現代の自分たちの恵まれた環境に深く感謝。
2008.07.19 | posted by tavicho | URL | EDIT |

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